ピクサーの最新作は、1万個の風船で家を空に飛ばすおじいさんのお話、とのこと。
見所は、なんといってもその「1万個の風船」らしい。

映画「カールじいさんの空飛ぶ家」--1万個の風船を描いたシミュレーション技術 @CNET 09/06/05

 同チームにとって、風船を手描きでアニメーション化することは全く考えられなかった。風船の数が5桁であり、特に風船の束では2つの風船のあらゆる相互作用が連鎖反応を引き起こすということを考えていたからだ。連鎖反応とは、1つの風船が別の風船にぶつかると、その2つ目の風船が動いておそらく3つ目の風船にぶつかり、これが次々と続いていくというものだ。この動きのすべてを、スクリーン上で見えるようにする必要があった。

1万個の風船がワサワサお互いに揺れてる姿なんて、ファンタジーの世界ならイメージできるけど、ピクサーのあのリアルなCGになるっていうのは、ちょっと想像しにくい。
お互いの風船の映り込み具合だとか、上の記事にあるような連鎖反応の揺れ具合だとか、1万個にどうやって書き込むの?と考えてみようとすると、気が遠くなる。

でもそこはピクサーのことだから、きっと“本当に1万個の風船が飛んでる!”になるんだろうな。

などと思いながら、映像はないかと探してみると、公式サイトに予告編がのっていた。
見られるのはほんの数秒だけど、あわわ、本当に1万個の風船が飛んでる!

pixer_baloon.png
うわーーー!   だった。

すごい。



CNETの記事によれば、

 May氏は、Pixarのアニメーション部門は風船を手描きでアニメーション化することは考えもしなかったと言う。しかし、相互作用する無数の風 船の複雑さは、Nの2乗になるため、標準的なコンピュータアニメーションでさえそのタスクに対応できないだろう。そこでPixarのコンピュータ専門家た ちは、ニュートン物理学を利用した物理シミュレータをプログラムし、それに問題を任せることで、このアニメーションの問題に対処することができた。

とのこと。

もう、なんだかよくわからない世界なのだけど、どうも勝手にコンピュータが風船を動かしてくれる、ということらしい。

この記事で特に面白かったのは、この部分。

 物理学とカオス理論の「気まぐれ」によって、予想もしないことが起きることもある。コンピュータチームはルールを入力するが、初期条件の一部はラ ンダムであるため「結果はセミランダムになる」。May氏のお気に入りの1つは、映画の初めの方で家が風船によって初めて空中に引き上げられたときに、少 数の風船が風船の束本体から離れて飛んでいったことだ。

 「カールじいさんの空飛ぶ家」の中で、非常に短時間だがこの離れていく風船が実際に見られるとMay氏は言う。観察眼の鋭い観客なら、スクリーンの右上に離れていく風船を見ることができるという。

 「われわれはこんなことを起こそうと意図していたわけではなかった。しかし『これは面白い。このままでいこう』(という話になった)」(May氏)

カオスの世界で制御できなくなった風船の束から、ふわふわといくつかの風船が離れていっちゃったって。
作った人たちも予想してなかったっていうんだから、制御を超えてリアルを再現するシミュレーション技術っていうのは、ほんとにすごい。生き物を作っちゃうようなもんだものね。

そんなすごい技術やアイデアや発明が、ピウサーの世界を支えている訳だけど、

 それでも、Pixarの受賞歴のある映画制作者にとっての目標は、アニメーション上における最難題であっても、銀幕上ではさりげなく見えるようにすることだ。
だって。

かっこいいなぁ。


そういえば、「赤い風船」のラストシーンでは、いくつの風船が飛んだんだろう。
主人公の男の子が、風船と一緒に空に舞い上がるラストは、なんというかもう、脊髄反射的に、泣けた。
娘は別の事情で号泣だったけど。)



この種の感動に、ピクサーはどこまで迫るのかな。


公開は今年12月とのこと。
これは、映画館で見たい。
書店にいくと、たまに「松岡正剛の本ナビ読本」という冊子を見かける。
私はこの小さな冊子が大好きで、バージョンが変わるとすかさずいただいて帰る。
横長の紙を屏風折にしたコンパクトなもので、
セイゴオ氏のコラムとISIS編集学校の紹介が裏表に印刷されている
文庫サイズの折りものだ。

090520_1735~0001.jpg



















このセイゴオ氏のコラムの部分をブラブラ歩きながら読むのが、なかなか楽しい。

千夜千冊では、圧倒的な情報量であちこちの世界をつなげてみせるセイゴオ氏であるが、
この「本ナビ読本」では、文庫サイズ3ページほどのスペースに、そっと視点をおくような静けさがある。

そのそっとおかれた視点が、あとからヒタヒタとこちらの記憶と想像力を波立たせる。
いつもその余韻を、テイクアウトのコーヒーのように楽しむのである。


今回のコラムは「本棚の記憶」。

  町にお店や看板やビルや家があるように、本の群というものはこれらを少し離れてみれば、町の光景のようなものである。私たちが子供のころから町並みを覚え ていられるのは、そうした光景の配列によるものなのだ。本だって、そういうものだ。それゆえ読書をする行為には、知の町を自分で独自に設計していく箱庭作 りのような面白さが重なっていると思うべきなのである。
そういえば、と、急に思い出したことがあった。

子供のころに何度も読んだ『雷の落ちない村』という絵本があるのだけど、この絵本を思い出すときは、決まっていくつかの光景がズルズルと連続してひっぱり出されてくる。光景の配列が展開されるのだ。

出窓の下のふすまを開けると、母親の料理の本と一緒にこの本がおいてある。
取り出して、薄暗い畳の上で広げて読み始めると、「電気つけなさい」という声がきこえる。
かまわず読み進めると、途中で絵が白黒になる。
「この絵本を描いた人はねぇ、小さな子供を残して病気で亡くなったのよ。途中で色がなくなっているのは、完成まで間に合わなかったんだって。この絵本は、子供たちへ贈ったものだったらしいよ」
母親の解説を思い出し、少し怖くなって閉じる。料理の本のとなりにしまう。
何事もなかったように飛び跳ねながらいつもの遊びに戻る。

そんなことを何度繰り返したかわからない。
だから私は、この絵本の前半部分だけを、絵の細部にいたるまで覚えている。

どういうわけだか何かいけないことをしているような感覚もまじり、秘め事のような気配をつれて、
薄暗い畳の部屋で顔にかかる髪の感触までを引っ張ってくるのが、この絵本の光景なのだ。


かれらはいったんはどこかに持ち出されて、私たちのいっときの「暗い玩具」や「元気なペット」となるけれど、でもいずれは、そのアドレスへ静かに帰っていくことにもなる旅人なのでもある。人間だけが旅人なのではなく、本もまた旅人なのだ。
とある配列のとあるアドレスに帰っていく本。

出窓の下のふすまを開けたところの本棚だったり、秘め事のカーテンの奥だったり。

なるほど、デジタルでは再現しにくい情報のあり方だな、と思ったりした。
なんだかすごい世界最速のカメラができたらしい。
作ったのは、UCLAで研究をされている日本人の方。

世界最高速の撮影を実現:UCLAの合田圭介氏ら(動画)


毎秒610万コマの撮影が可能で、シャッタースピードは440ピコ秒[ピコは1兆分の1]を誇るという。
とのこと。

「ピコ秒」って、なんだ。
なんとかわいらしい単位。
1兆分の1秒って、「光でさえ1センチメートルの数分の1しか進めないほど短い時間」だって。

もうこうなると、一般人にはよくわからない世界だけれど、まだ見たことないものが見えそうで、純粋にワクワクする。

まだ3000画素の画像しか生成できないらしく、実用化にはいたっていないようだけれど、いずれ数百万画素にするとのこと。
440ピコを切り取ったら、どんな世界が見えるんでしょう。

でまた、撮影の仕組みを解説している動画が面白い。
440ピコ秒の間に、こんなややこしいことが起こってるの?!。

まるで、ピタゴラスイッチです。



この合田圭介さんという方が語る、「ドラえもん」の世界も、夢があっていい。

量子テレポーテーションという分野で、どこでもドアのようなものが真剣に研究されているらしい。

2004年に発表された原子の量子テレポーテーションは転送技術の原理的検証であり、非常に有意義なものである。2004年のNature誌で KimbleとVan Enkはこの技術は量子コンピューターの量子情報の転送に応用可能と述べている。量子コンピューターとは量子力学的な重ねあわせを用いて並列性を実現する 次世代のコンピューターであり、計算能力が10億倍?50億倍も高まるといわれている。現在のスーパーコンピューターでも何十億年もかかる計算が量子コン ピューターでは1年ほどで十分である。

結論として、ドラえもんの秘密道具は一見SFっぽいが科学界では真剣に議論されており、近い将来実現可能なものはいくつかある。これらの道具が実現可能になると様々な応用が考えられる。

ですって!

どこでもドア、ほしい。

とあるWebコンテンツのバックアップをとりたくて、「wgetしておこう」と思い立つ。

「・・・ macでwgetって、どうすればいいの?」

そもそもmacのコマンドラインってどこにあるの? という、谷底からのスタート。

結論から言うと、私でもできたんだけど、そこに至るまではさんざんな格闘にでした。
もしも同じような人がいたら、と思って、メモを残す。

まずは、macでコマンド、そこから。
あれこれ調べたら、こんな初心者向けの記事が。
ありがとうございます >> Lifehacker

Macで使える便利なコマンドライン
そうそう、Terminalっ。聞いたことはある。
でも、iTermというのを入れたほうがいいよ、とこの記事に言われたので、言われるままにインストール。

iTermをダウンロード
できた。

pwdとかlsとか、ひととおりコマンドをたたいてみる。
ちゃんと動く♪

そうだ、ここで終わりじゃなかった・・・

で、wget実行!

-bash: wget: command not found
え・・・、wget、ないんだ・・・ ;_;

「mac wget」で調べると、たくさんの人がログを残してくれている。
たとえば、

Mac OS X 10.5にwgetを入れる。
ありがとうございます >> みなさん

これなら楽勝〜♪と、言われるままにコマンドをたたく。

が・・・

./configure
まできたところで、PATHが通ってないからダメ!と怒られた ToT

「./configure エラー」とかなんとか調べていたら、同じような人がいた。

知識ゼロから git を使えるようになるまで(Mac OS X にインストールする編)

どうやら、Xcodeというものが必要らしい。
XcodeはLeopardのインストールDVDの中にあるって。

ちょっと便利かも / 開発環境(Xcode)をインストールする
インストール、待つこと20分。
終わったところで、改めて ./configure

できた!
さて、インストールだ。

$make
$make install

あれ・・・ インストールが完了しない。

Permission denied

とのこと・・・   もうヤダ ;_;

chmodでいろいろしてみるも、何をやってもPermission denied ・・・
そうだ、ルート権限にならなきゃいけないんだ!とひらめいて

su -

としたんだけど、パスワードがわからない(号泣)

もう無理、もうほんとにイヤだ・・・ ふてくされる。調べる。

Mac OS Xでroot権限を有効にする方法

おー、あったあった!

言われるままにパスワードを設定して、再度 su -。

パスワード通った!
で、

make install

ヤッターーー!  できたできた♪

wget実行!

できた(泣)  ファイル取れました。長かった・・・


ふぅ〜〜〜っと、改めてmacでのwgetについて情報をフラフラと見て回っていると・・・

とってもシンプルなWgetフロントエンド『Get』


なにーーーー!
こんなGUIが。

なんだったんだ・・・



でも、まぁ、勉強になりましたってことで・・・
まぁいっか=3

つかれた。


およそ50年前のフランスの映画「赤い風船」と「白い馬」を観てきた。



娘は、この1週間前に「ポニョ」で映画観覧デビュー。
もう映画館は大丈夫、と判断、念願の(親のね)「赤い風船」に連れて行くことにした。

1953年にカンヌ映画祭でグランプリを受賞した「白い馬」、その3年後にパルム・ドール賞となった「赤い風船」、二本一緒になって、50年後の再上映となってこの7月から日本にもきた。

フランス映画といってもほとんど台詞のないこの映画は、4歳の娘にとっても絵本を見るようなものだったらしい。
予想以上の感情移入の大騒ぎぶりに、途中で退席したほうがいいかな、と思ったくらい。

「あの人たち、なんでお馬さんにいじわるするの!?」
「あの男の子、死んじゃうの?(泣)」

1本目の「白い馬」で、すでに娘の手は汗でびっしょり。
ドキドキすると、手に汗をかく。

半ば放心状態ではじまった2本目「赤い風船」では、男の子と自分が完全に重なってしまった。

風船が危機に瀕するたびに、体を硬直させて「いやーー!」。
最後に風船が割れちゃうシーンでは、ちょっとしたショック状態、号泣がはじまってしまった。
観客席の皆様すみません〜、と親も汗をかきつつ、だいじょうぶだいじょうぶと娘の耳元にささやき続けることに。

その後ラストの信じられないくらい美しい映像(本当にこれはすばらしかった!)にも、娘のショックはおさまらず、「風船が、風船が、、、」とわなわなしていた。


映画が終わっても泣き止まない娘。
映画館の出口付近で「あのね、あの風船は幸せだったんだよ」とかなんとかなだめていたら、初老の女性に声をかけられた。

「お嬢さん、映画ご覧になってたのよね? 私も孫を連れてきたいんだけど、もう大丈夫かしら?」

体をこわばらせて泣き続けている娘を、その人は少し心配そうに眺めている。

「あまりの感情移入に、こんなんなっちゃって」と話すと、「あら。。。」と口に手をあてたきり、「いやだ、なんだかこっちまで泣けてきちゃう」って、眼鏡の下の目をぬぐってらした。

その方は、50年前に「赤い風船」を観たとのこと。初めての外国映画で、とても思い出深い映画であることを話してくれた。

「お嬢ちゃんも、きっと50年たっても覚えてるでしょうね」とその人。

お互いなんだか涙ぐみながら別れた。

娘が孫を連れてこの映画を見に来る姿を想像した。
「おばあちゃんねぇ、泣いちゃって大変だったらしいのよ」などと言いながら、初老の娘が孫の手を引いてるのだ。

鮮やかな映画を観た後だからか、頭に浮かぶその映像が妙に鮮明で、50年後、100年後の平和を、いつになく強く願った。

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人間のこどもと遊びたい、セッセッセがしたい、と毎日雲の上で思いをつのらせるかみなりむすめのおシカ。
ある日、おとうとおかあに内緒で、人間の子供が遊んでいる場所に降りていく。
あたまの上のつのはちゃんと赤いひもで結んで隠した。
「おらも、セッセッセのなかまいりさせてくろ!」
勇気を出して言ったけど、知らない子はいやだとみんなにそっぽをむかれてしまう。
中にひとりだけ、気にかけてくれる男の子がいた。
「おらがあそんでやるべ。ん? セッセッセやっか?」
急に降り出した雨を避けてふたりで岩屋に入り、おシカと茂助というその男の子はセッセッセを始める・・・

五つ お山の 千本桜
六つ むらさき ききょうにそめて

そうやっているうちに、おシカは むねが あまァくなって、
目から ポロポロッと なみだが こぼれてきた。
かなしいのでは ない。たのしいだけでも ない。
茂助のやさしさが、手をうちあわせるごとに
からだに しみとおって くるのだ。

DSC01238.JPG
















こういうときの、こんな気持ち、
はらはらと涙がこぼれて、なぜって言われてもわかんない、
そんなような、あんな気持ち、
「むねがあまァくなる」って表現、ぴったりだ。

いじらしくってかわいくって、こちらまでむねがあまァくなっていたら、
娘がとなりでなにやらゴソゴソとやっている。

我に返って娘を見ると、険しい顔をしてパジャマの上着をズボンの中に一生懸命しまっている。
おヘソを隠していたらしい。




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これから、あっちゃんは、おとうさんと おかあさんと
あかちゃんといっしょに おふろやさんにでかけます。
という冒頭の文を最後に、文字はいっさい出てこない絵本。
あっちゃんが銭湯に入って出てくるまでの様子が、延々と見開きの絵で綴られていく。
脱衣所で体重計に乗ったり、洗面器にお尻を入れてクルクルまわったり、騒ぐ若者がおじいさんに怒られていたりと、見開きいっぱいのあちこちにそれぞれの物語があって、文字のないページのなんとも生き生きしていること。

「絵本ナビ」より)

左側の赤ちゃんを抱いたお母さんが「そろそろ出るわよ〜」。
右上のあっちゃんが「はーい」。

そんな場面がひとつ。

左真ん中の若者三人組に、さっき叱り飛ばしたおじいさんが「んじゃぁな。」
若者三人組が「ういっす。」

そんな場面もひとつ。

文字がないぶん、読むところがたくさんある。

娘も毎回、ここに出てくる子供たちに保育園のお友達の名前をあれこれつけて、その時々のおふろストーリーを作っている。

この本に憧れて、娘は先日、銭湯デビューをしました。
八郎八郎
斎藤 隆介 滝平 二郎

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「大きくなりたい」と願い続けた若者八郎が、やがて本当に巨人になって、身を投じて荒れる海を塞き止め、村人を救うというお話。

滝平次郎さんの絵が、すごい迫力です。

海はおす。八郎はおし返す。海はまたおす。八郎のはらから、むねから、
かたまで水がきてよ、とうとう、くびからはなまで水がきたときよ、
八郎はそこらじゅうが、ひっくらかえるような声で、叫んだとや。
「わかったあ! おらが、なしていままで、おっきくおっきく
なりたかったか! おらは、こうしておっきくおっきくなって、
こうして、みんなのためになりたかったなだ、んでねが、わらしこ!」

娘は東北弁をほとんど理解できない様子で、後半は飽きて八郎の顔マネを密かにして楽しんでた。
母はといえば、そんなことはおかまいなしに、この東北弁の気持ちよさに、最後まで浪々と朗読をしましたとさ。

自分でもわからない何かの気持ちに憑かれながら、とうとうそれが何かわかったときの八郎の感動は、上の台詞と見開きの絵だけで十分に迫ってくる。
いい死に方だなぁ、などと思ったりした。
ひさびさに、いい本に続けて会えた。


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葉っぱってスゴイ。
うちのエニシダが部屋においたとたん花をつけなくなったのは、日当り不足じゃなくて暗闇不足だったんだ。
葉っぱは、夜の長さを自分ではかって、季節を知るらしい。
へぇ。
その他、
 秋に桜が一斉に開花のナゾ
 葉っぱはそもそもなんで緑なのか、の深いわけ
などなど、ワクワクする葉っぱトリビアがたくさん。
木々を見る目が変わるなぁ。



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子供の時に読んだきり忘れてた本。
最近娘に読んで自分が泣いた本。
娘がいつまでも「なんで?なんで?」を繰り返した本。

あー、そうそう、これこれ、という本がしっかり入っている絵本ガイド。
得した気分。

毎日毎日ベッドの中で娘と本を読んでいて、その時の娘の視点や私の気持ちは、きっとあとになったらなんとも大切なものなのに、そういえばつつつーっと過去に流れていっていた。

ちゃんと書き留めよかな、と思わせてくれた本でした。


と、とりとめもないことを、ビールとアボカドネギトロ丼と共に。


今日4歳の娘に、「こどもってすっごく楽しいんだよ。うらやましいでしょ?」と言われた。
だから、「そうね。でも大人もすっごく楽しいんだよ。うらやましいでしょ?」と言い返してやった。

ちょっと悔しそうな娘。
それをきっかけに、娘と私の「オトナとコドモ、どっちが楽しいか論争」が始まった。


り:「でも、こどもにはおもちゃがあるんだよ。大人にはないでしょ?」
母:「あららー、知らないのね。大人にもおもちゃはあるのよ。」
り:「どんなおもちゃ? 見せて。」
母:「大人のおもちゃは見えないことが多いなぁ。お仕事とかお料理とか。」
り:「そんなおもちゃ、おもしろくなさそう。」
母:「あははー、わっかんないだろーなー。大人になったら、このおもしろさがわかるのよ。」
り:・・・(悔しい)
り:「でもでも、こどもは空をとべるんだよ。ピーターパンみたいに。」
母:「おかあさんだって、たまに空飛ぶよ。気持ちいいんだよねー。」
り:・・・(悔しい)


もちろん、大人と子供どっちが楽しいか問題に決着をつけたかったわけじゃない。
「生きることの喜び」なんてものを教えようなんて魂胆も、特になかった。
ちょっと娘と、思考遊びをしてじゃれたかっただけだ。

けれど、この論争はその後もしばらく続き、気づくと後半はこっちも結構真剣になっていた。
最後は娘の「とにかく! りーちゃんはすーっごく楽しいの!」という怒りの鉄拳で一方的にシャッターが下りた。
やや、うざかったらしい;
ごめんごめん。

その後娘は、ひとりリカちゃん遊びに戻ったのだけど、こっちはなんだか「もうちょっと付き合ってよ・・・」という気持ちだった。


今自分がやっていること、なんでこんなにこだわるのかっていうこと、そこにある何かとても大切なことが、娘とのたわいもない会話から見えてきそうだったのだ。


その夜、ひさしぶりに、祖母の夢を見た。

小学校入りたてくらいの私が、庭先で土蜘蛛をとっている。
ものすごい数の土蜘蛛が集まった。
とった土蜘蛛の巣を縁台に並べて、どの蜘蛛が一番先に顔を出すか心の中で賭けている。
「戻してやんなさい。そこに置いとくと死んじゃうよ」と後ろから祖母の声がする。
私と土蜘蛛は楽しく遊んでるんだから死ぬ訳ないじゃん、と理不尽なことを思っている。
土に蜘蛛を戻したフリをして、両手に土蜘蛛をかかえて友達のところに走って見せに行く。

そんな夢だった。


なんだかわからない高揚感のような焦燥感のような妙な気持ちで夜明け前に目が覚めた。
なんとはなしにブログを徘徊していると、こんなエントリーが目についた。


「3億円あっても楽しくなれない理由は、子供が知っている」分裂勘違い君劇場
子供の頃、積み木を使って、自分の思うさま構造物を作り、面白い遊び方を仲間に提案し、みんなで盛り上がることの、なんと楽しかったことか。

大人の喜びも、本質的には、これと何ら変わらない。子供が積み木や砂山やトンネルを作るような無邪気さで、気の向くまま、思うさま、縦横無尽に企画を作り、構想をまとめ上げて、あちこちのキーパーソンを説得し、根回しをしまくって組織の意思決定メカニズムを操作し、利害関係を調整し、プロジェクトを推進し、それを世の中で実現していくこと。

それらを、気の合う仲間たちと力を合わせてやる楽しさ。仲間たちと一喜一憂し、喜びと悲しみと怒りと高揚を分かち合うこと。


昨日の娘との論争の続きを、引き受けてもらったような気持ちがして、吸い込まれるように最後まで読んだ。


自分が子供の時、砂場で仲間たちと無心に遊んでいるとき、何が楽しかったのかを思い出せば、人生を楽しくするために必要なことが見えてくるはずだ。

自分が仲間たちに、自分のやりたい遊びや遊び方を提案し、それが受け入れられたとき楽しかったでしょう?

自分の納得のいくルールで遊べるのが気持ちよかったでしょう?

自分の思い通りの形に仕上げていくのが楽しかったでしょう?

仲間たちに、自分のアイデアが認められ、尊敬されるのは、気分が良かったでしょう?

みんなに、楽しいヤツだと思われて、たくさんの友達が集まってくるのが幸せだったでしょう?

仲間たちと、力を合わせて作り上げたものが誇らしかったでしょう?

大人になっても、これらは、本質的に、なにも変わらないのです。


はい、そうでした。
そういうことでした。


娘がいま毎日刹那的に繰り返している楽しさは、いつか何倍にもなって根深い人生の楽しさになってよみがえるはず。
そう願う。

砂場で自分のルールをつくるもよし、人のルールにのっかって砂のお城づくりに没頭するのもよし、頑張ってる砂場の仲間に砂を届ける役目だっていい。
立ち位置はなんだってかまわない。
自ら主体的に選びとった場所やもので、瑞々しく遊べる大人になってくれたらいい。


まずは娘の一歩先で、自分がそう生きようと思う。
大人が本気で遊ぶとはどういうことか、「まぁお母さんを見てなさい」、とかなんとか言っちゃいながら。